「寄り合い談義・悪文改善法」のまとめ3

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「寄り合い談義・悪文改善法」のまとめ3

 2014年11月のいちもくセミナー、「宿題」の3つ目、文例3です。

 これも文例1、2と同じく中村明著『悪文』から拝借したものですが、元の文はもっと長かったため、途中で切りました。
 おそらく例としてわざと書かれたものだと思いますが、この妙な文例に、皆さんかなり手こずったあとが見えます。

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文例3:接続詞だらけの文です。あなたの感性でスッキリさせてみてください(接続詞と接続助詞の数をカッコ内に書いています)。

 私は北国に生まれた。しかし、雪はそんなに多くない。だが、今年はめずらしくかなり積もった。けれども、昼間あまり寒くない。それでも、だいぶ厚着をして過ごさなくてはいけない。とはいえ、重いという感じがしない。が、動きが自由だというところまではいかない。でも、ちょっとした運動くらいはできる。(接助:0 接:7)

◆宿題回答(順不同)

A 私は北国に生まれた。とはいえ、雪はそんなに多くない地域である。それでも、今年はめずらしくかなり積もった。そのため、昼間はそれほど寒くはないが、厚着をして過ごさなくてはいけない。厚着をしても重いという感じはなく、ちょっとした運動くらいはできるが、動きが自由とはいえない。(接助:2 接:3)
B 私は北国に生まれた。雪はそんなに多くないが今年はかなり積もった。
昼間はあまり寒くないものの、だいぶ厚着をして過ごさなくてはいけない。重いという感じはしないが動きが自由というところまではいかない。それでもちょっとした運動くらいはできる。(接助:3 接:1)

C 私は北国に生まれた。本来、あまり雪の降らない地域だが、今年はかなり積もった。温度が上がる日中も、厚着になりがちだ。とは言っても、さほど重く感じるわけでもなく、ちょっとした運動なら平気である。(接助:1 接:1)

D 私は北国に生まれたが、雪はそんなに多くない所だ。だが、今年はめずらしくかなり積もった。昼間あまり寒くないとはいえ、だいぶ厚着をして過ごさなくてはいけない。動きが自由だというところまではいかないが、ちょっとした運動くらいはできるくらいの重さだ。(接助:3 接:1)

E 私は北国に生まれた。雪はそんなに多くないところだが、今年はめずらしくかなり積もった。昼間はあまり寒くないとはいえ、だいぶ厚着をして過ごさなくてはいけない。そのため、自由に動けるというところまではいかないが、重いという感じはなく、ちょっとした運動くらいはできる。(接助:3 接:1)

F 北国とはいえ雪がそんなに多くない私が生まれた地にも、今年はめずらしくかなり積もった。昼間はあまり寒くないところを、だいぶ厚着をして過ごす。それでも重いという感じはなく、ちょっとした運動ができる程度に動きは自由だ。(接助:1 接:1)

G 私は北国に生まれた。雪はそんなに多くない。今年はめずらしくかなり積もったけれど、昼間あまり寒くない。それでも、だいぶ厚着をして過ごさなくてはいけない。重いという感じはしないが、ちょっとした運動くらいができる程度で、動きが自由だというところまではいかない。(接助:2 接:1)

H 私はそれほど雪の多くない北国に生まれた。今年はめずらしくかなり積もったが,昼間はあまり寒くない。厚着をして過ごしてはいるが,重いという感じはしない。動きに多少不自由なものの,ちょっとした運動くらいはできる。(接助:3 接:0)

I 私は、それほど雪の多くない北国に生まれた。今年は珍しくかなり積もったが、昼間はあまり寒くない。厚着をしなければならないものの、重いという感じではない。動きはやや不自由だがちょっとした運動くらいはできる。(接助:3 接:0)

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 肯定かと思えば否定、否定かと身構えれば肯定…と、文章がジグザグに進行します。
 
 ここまで極端なものは少ないにしても、特に逆接の接続詞が連続すると、「結局何が言いたいのか」が伝わりにくく、読者にとって負担を強いる文になります。

 回答例はいずれも、いかにそのジグザグ感を減らすか、特に接続詞をどう略すかに工夫をこらしたように見受けられます。

◆接続詞の要不要

 読者に親切であろうとしてつい挿入してしまいがちな接続詞です。

 それが本当に必要なのかどうか、どう判断すればよいでしょうか。

 簡単なことで、判断に迷うその接続詞を取ってみればよいわけです。
 
 それで文意が通れば接続詞など不必要、意味がわかりにくくなればやはりあった方がよいのだろうという判断ですね。

 なくて済むものなら、その方が文は簡潔になり、リズム感が出てきます。コミュニケーションを目的とする文章なら、なるべく接続詞は省く方向がよいといえるでしょう。

 例えば解答例Aでは、前半の「とはいえ」、「そのため」を省いても読解に支障はありません。

 DとEを比べてみると、Dでは冒頭の文前半に「が」を入れたために、2つ目の文の冒頭も「だが」が必要になって重複感が出てしまいました。
 Eではそれを避けるようと、「だが」を2つ目の文に入れることによってうまく処理しています。

◆同種の言葉を続けない

 いくら減らせばよいといっても限度はあります。

 どうしても必要な接続詞/接続助詞に対しては、なるべく言葉にバラエティをもたせるという工夫が必要でしょう。

 同じように「が…が」が連続するのではなく、例えばBでは「が/ものの/が/それでも」と書き分けています。Cでは「だが/とは言っても/でもなく」。

 Fでは、1行目の前半に少し無理をしていますが、「とはいえ/それでも」の2つで対処しています。

 また接続詞以外の部分でも、文章が細切れになりがちなので注意が必要です。

 「〜ない」という形がB、Gには5個所登場するのは少し読みづらさを感じさせるかもしれません。

 F、H、Iでは「雪は多くない」を述語としてでなく修飾語として処理をすることで、逆接の接続詞を減らそうと工夫しています。

◆その他の問題点

 今回の文例はほとんどが接続詞の処理の問題でした。

 他の回答例で多少気になるのは、例えばA。

 2行目の「そのため」は一瞬「昼間はそれほど寒くない」にかかるものと勘違いさせます。対処法としては、位置を変えるのではなく省略してしまうことでしょう。

 Bの「雪はそんなに多くはない」だけでは、「そのような土地である」という意味がわかりにくくないでしょうか(もっとも、原文自体がややあいまいです)。

 Fの「厚着をして過ごす」と一部を現在形に変えたのは、バラエティをもたせる工夫といえるでしょう。

◆まとめ:文例3から得られた「御教訓」
・なくても文意が理解できるなら、接続詞は不要
・(特に文末を)同じ言葉、同じ言い回しで繰り返さない

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