「寄り合い談義・悪文改善法」のまとめ1

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 2014年11月のいちもくセミナーでは、事前にいくつかの文例を示し、その添削をしていただくよう「宿題」を出しました。
 結果として、宿題をやってくれた人は8名。出題者である私自身の私案も含めて9名の回答を得ることができました。

 セミナーに参加できなかった方々からも宿題を提出していただいており、また関東でもこの種の講座をやってほしいという嬉しいリクエストがあったこともあり、これから数回に分けて、いちもくセミナーで議論した内容をまとめてご紹介したいと思います。
 当日言い忘れたことも含めていますので、さらに内容は濃くなっているかもしれません。
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 まず文例1から。

文例1:ちょっと違和感のある文章。あなたの感性で修正してみてください。

 むつまじそうな親子連れを見ると、よく母親に手を引かれて歩いた子供の頃を思い出させる。
 (文例は中村明著『悪文』より)

宿題回答(順不同)
A:むつまじそうな親子連れを見ると、母親によく手を引かれて歩いた子供の頃を思い出す。
B:むつまじそうな親子連れの姿は、母親に手を引かれて歩いていた子供の頃を、よく思い出させる。
C:むつまじそうな親子連れを見ると、よく母親に手を引かれて歩いた子供の頃が思い出される
D:仲むつまじそうな親子連れを見ると、母親に手を引かれて歩いた子供の頃が思い出される。
E:仲睦まじそうな親子を見かけると、母親によく手を引かれて歩いた子供の頃のことを思い出す。
F:仲むつまじげな親子連れを見ると、母親に手を引かれて歩いた子供の頃をよく思い出す。
G:むつまじげな親子連れを見ると,よく母親に手を引かれて歩いた子どもの頃が思い出される。
H:仲むつまじい親子連れを見ると、母に手を引かれて歩いた子供の頃を思い出す。
I:睦まやかな親子を見ると、母親によく手を引かれて歩いた子供の頃を思い出す。

 短い文章ですが、なかなか突っ込みどころの多い例文といえます。
 皆さんがどこを注目したのかをたどってみると、この例文の持つ問題点が浮き上がってきます。

◆主語と述語の関係

 まずいちばん問題なのは主語と述語の関係でしょう。
 「(私が)見ると……思い出させる」は主述関係がちぐはく。
 そこで修正意見としては、
 「見ると……思い出す」
 というのが多数派。
 「姿は……思い出させる」
と逆の修正を試みたのが一例。この場合は英語の無生物主語を直訳したような少し硬い印象が残ります。

 「見ると……思い出される」
とやや文学的雰囲気をもった修正もありました。これはこれで、他の文との整合性が保たれれば問題ないでしょう。

◆むつまじいか、仲むつまじいか

 「むつまじそうな」に対しては、「仲むつまじそうな」「仲むつまじげな」「むつまやかな」などに分かれました。

 なぜ原文の「むつまじそうな」ではなく改変が試みられたのか。
 辞書的には「むつまじい」と「仲むつまじい」はほとんど同じ意味です。
 ところが、現実には「むつまじい」より「仲むつまじい」という形で使われる方が多いようで、耳に馴染んでいるということなのではないかと思われます。

◆親子連れか親子か
 「親子連れ」をあえて「親子」とした人が2人。
 辞書を見ると、「子ども連れ」は「子どもを伴うこと」であって、親の存在は隠れています。この場合は「連れ」を略すことはできません。
 「親子連れ」は「親子で連れ立つこと」であり、客観的な光景を表しています。つまり「子ども連れ」と「親子連れ」は同じ「連れ」でも意味が違うということですね。
 というわけで、「親子連れ」を親子に変えても意味は変わらないというのが、おそらく「親子」派の言い分だろうと思います。それだけ文章も短くできますから。

 そのような意味で「むつまじそうな親子連れを見ると」という原文のややゴツゴツした言い回しより、Iの「睦まやかな親子を見ると」の方がリズム感もよく、よほどすっきりしているのがお分かりいただけるでしょう。
 実はこの文Iは私が書いたもので、「むつまじい」を調べている過程で「睦まやか」なる言葉を発見し、採り入れたものです。
 ただしこの「睦まやか」はやや文学的、かつ一般には死語に近い言葉かもしれず、普通の文章の中で使うには難点がありそうです。

◆副詞の「よく」は何を修飾しているか
 この文例1でいちばん問題なのが副詞の「よく」でしょう。
 解答例を見ても、そのまま「よく母親に」とした人、「よく手を引かれ」「よく思い出す」に変えた人とまちまち。
 これだけ答えがばらつくということは、原文自体がそもそも曖昧文だということの証明だと言ってよいのかもしれません。

 副詞は用言を修飾するものですから、動詞、形容詞、副詞が被修飾語の候補となります。
 この文例の場合、「よく」のあとには「手を引かれる」「歩く」「思い出す」と3つの動詞があり、そのどれもが被修飾語になり得ます。
 しかし、どれが正しいのかは、残念ながら書いた人にしかわかりません。
 第三者による修正が不可能な文章の一例と言ってよいでしょう。

まとめ:文例1から得られた「御教訓」
・主語と述語は対応させるべし
・あいまいな修飾語に注意(修飾語はできる限り被修飾語の直前に置く)

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